開館時間・アクセス・駐車場
会場:大阪中之島美術館 4階展示室
展覧会の開催期間:2024年6月15日(土)~8月25日(日)
前期:6月15日(土)~7月21日(日)
後期:7月24日(水)~8月25日(日)
※会期中、展示替えがあります
休館日:月曜日、7/23(火)
(7/15(月・祝)、8/12(月・休)は開館)
開館時間:10:00~17:00
※最終入館は閉館の30分前まで
大阪中之島美術館へのアクセス・地図・駐車場情報
〒530-0005 大阪府大阪市北区中之島4-3-1
TEL:06-6479-0550(代表)
https://nakka-art.jp/visit/access/
最寄り駅
京阪
・中之島線 渡辺橋駅(2番出口)より南西へ徒歩約5分
・淀屋橋駅(7番出口)より土佐堀川を越え西へ徒歩約15分
Osaka Metro
・四つ橋線 肥後橋駅(4番出口)より西へ徒歩約10分
・御堂筋線 淀屋橋駅(7番出口)より土佐堀川を越え西へ徒歩約15分
JR
・大阪環状線 福島駅/東西線 新福島駅(2番出口)より南へ徒歩約10分
・大阪駅より南西へ徒歩約20分
阪神
・福島駅より南へ徒歩約10分
・大阪梅田駅より南西へ徒歩約15分
阪急
・大阪梅田駅より南西へ徒歩約20分
グッズ
「開創1150年記念 醍醐寺 国宝展」のグッズには図録,ポストカード,A4ファイル,アクリルスタンド,ステッカーなどがあります。
醍醐寺展のグッズ情報はコチラ
大阪中之島美術館で開催の『醍醐寺 国宝展』。
グッズ売り場では醍醐寺の仏たちの「生ブロマイド」が販売されています^^
「なまなまなま!なま下さい!!」
の生です。生ブロマイドです。
佐々木がすべて自分でプリントしています🔥
展覧会期間中のみの販売。
ぜひぜひよろしくお願い申し上げます!! pic.twitter.com/bK8ubXK1ZB
チケット
「開創1150年記念 醍醐寺 国宝展」のチケット料金
前売り券・団体券
一般 | 1,600円 |
高大生 | 900円 |
小中生 | 300円 |
※団体は20名以上。
※団体鑑賞をご希望の場合は、事前に大阪中之島美術館公式ホームページから、団体受付フォームにてお問い合わせください。
当日券
一般 | 1,800円 |
高大生 | 1,100円 |
小中生 | 500円 |
※本展は、大阪市内在住の65歳以上の方も一般料金が必要です。
※相互割引
本展観覧券(半券可)のご提示で、5階で開催される「没後30年 木下佳通代」(2024年5月25日(土)~2024年8月18日(日))の当日券を200円引きで2階チケットカウンターでご購入いただけます。
・いずれも対象券1枚につき1名様有効です。
・チケットご購入後の割引はできません。
・他の割引との併用はできません。
定価より安くチケットを入手したい場合は、
ラクマやヤフオクなどネットオークションに出品されていることもありますから、
チェックしてみてください。
メルカリの過去のデータを見ると招待券2枚セットが3,000円ぐらいで落札されているようです。
ヤフオクの醍醐寺展チケット出品状況はコチラ
ラクマの醍醐寺 国宝展チケット出品状況はコチラ
メルカリの醍醐寺展チケット出品状況はコチラ
金券ショップでもチケットを販売している場合があります。
展覧会のチケットは会期終了間近になると安くなるケースが多いです。
展示概要
日本の古都、京都には、数々の歴史的な寺院が点在しています。その中でも、伏見区にある醍醐寺は、平安時代の初期、貞観16年(874)に理源大師聖宝(りげんだいししょうぼう)によって開創され、以来、真言密教の中心地として、多くの皇族や貴族、武将たちから深い信仰を集め、日本の歴史において大きな役割を果たしてきました。
醍醐寺は、醍醐山山上と山裾の二つの伽藍から成り立っており、山岳信仰の寺院としての性格を持ちつつ、国家の安寧や雨乞いなど、様々な祈願の場として機能してきました。また、江戸時代の初期からは、修験道の中心地としても発展してきました。
本展では、「山の寺 醍醐寺」「密教修法のセンター」「桃山文化の担い手」という三つのテーマに加えて、醍醐寺の特徴を紹介する「秘法継承」「密教法具一神秘の造形」「修験の寺」「引き継がれる聖宝の教えー顕密兼学の精神」「醒醐寺の近代・現代美術」というコーナー展示を設置。寺院に伝わる国宝14件、重要文化財47件を含む約90点の宝物が、大阪で初めて大規模に紹介。
また、豊臣秀吉や北政所が愛した桜にまつわる寺宝も展示されており、その歴史と美術を一堂に観ることができる貴重な機会となっています。この展示は、日本の文化遺産を深く理解するための素晴らしい機会となるでしょう。
構成
第1章 山の寺 醍醐寺
醍醐寺は、京都市伏見区醍醐東大路町にある真言宗醍醐派の総本山であり、醍醐山(深雪山とも)に広大な境内を持っています。この寺は、醍醐天皇の御願寺として平安時代前期の貞観16年(874)に開山されました。理源大師聖宝は笠取山の山頂に草庵を結び、准胝観音と如意輪観音をまつったことから醍醐寺の始まりとなりました。醍醐寺は上醍醐と下醍醐の二伽藍からなり、上醍醐は開祖聖宝ゆかりの聖地として特別な信仰を集めています。下醍醐には釈迦堂や五重塔が建立され、醍醐寺の初期文化財を見ることができるのも、この特殊な伽藍構成によるものです。
第2章 密教修法(すほう)のセンター
古代から、人々は国の安寧や豊穣、健康、家族の安全など、さまざまな願いを仏に祈り続けてきました。特に密教の修法(加持や祈祷の作法)は、さまざまな願いに対応する多様性を持っています。しかし、同じ修法でも寺院や流派によって作法が異なり、独自の秘法は門外不出とされていることがあります。雨乞いを行う寺院や安産を願う寺院など、特定の験力を持つ僧侶が修法の依頼を受け、皇族や貴族の信仰を集めるようになりました。
平安時代から鎌倉時代にかけて、醍醐寺は高名な学僧や験力の強い僧侶を輩出し、あたかも密教修法の研究センターとしての役割を果たしていました。彼らは自流の修法だけでなく、他流の情報も収集し、詳細な記録に残していました。また、修法の本尊を描くための設計図である「図像」も熱心に収集されました。近年、醍醐寺には国宝に指定された文書聖教7万点が伝わっており、これらは醍醐寺の僧侶たちの数世紀にわたる研究の集積です。密教の聖教をこれほど豊かに伝える寺院は他にはありません。
この章では、平安時代から鎌倉時代の作品を中心に、仏像や仏画、密教法具が展示されています。皇族や貴族の信仰を集めた醍醐寺の美術品は、一流の仏師や絵師によって制作されたものが多く、どこか優美さがただよっています。人々に恐怖心さえ起こさせるほとけの姿にも、美しさが感じられるのは、そのためかもしれません。
第3章 桃山文化の担い手
室町時代の文明2年(1470)に、下醍醐寺は兵火によって五重塔を残して灰燼に帰しました。その後、復興に尽力したのが天正4年(1576)に醍醐寺座主となった義演でした。義演は関白二条晴良を父に持ち、天正13年(1585)に本来皇族に与えられる称号の准三后となった人物でした。豊臣秀吉も醍醐寺に特別な想いを抱いており、慶長3年(1598)には「醍醐の花見」を贅を極めて行いました。秀吉の死後も、北政所をはじめとした豊臣氏による復興が続き、金堂、仁王門、上醍醐の諸堂が再興されました。現在の醍醐寺には、近世の名画や襖絵が数多く伝わっており、密教寺院としての美と、別の顔を持つ魅力があります。徳川時代にも醍醐寺は庇護され、堂宇や仏像の復興が行われました。修験道は当山派(真言宗系)と本山派(天台宗系)などのニ派に分かれていましたが、慶長16年(1611)に徳川家康は醍醐寺三宝院に属する修験を当山派と称することを許可し、真言宗の修験道の本寺と認めました。
口コミ・感想
X(twitter)でツイートされていた醍醐寺展の口コミ・感想を抜粋してみました。
中之島美術館の醍醐寺国宝展の内覧会行ってきました!びっっくりするくらい大きなミクさんパネルが!ガイドや放送のミクさんがめちゃくちゃ流暢にお話していて、ミクさん立派になって…と親の顔になってしまいました。
ARミクさんは再現度バッチリで見応えありました。明日から公開です! pic.twitter.com/DwxmZjS7in
真言密教の拠点として、醍醐天皇をはじめ歴代の皇室や公家らの信仰を集めた醍醐寺。展覧会監修の内藤栄・大阪市立美術館長の説明を聞き、こちらの「大威徳明王像」を見ると、密教の「忿怒」の厳しい顔をしていても、身体つきは柔らかく上品さであることが特徴としてわかります。→(続 pic.twitter.com/uOodQQpEQG